日本の漫画家・タレント・作詞家・作曲家の「楳図かずお(うめずかずお)」さん。
1955年に資本漫画家としてデビューし、恐怖ものから、SF、ギャグものや時代劇まで幅広いジャンルを手掛けていますが、ホラー漫画の第一人者として知られていました。
1995年以降からは、腱鞘炎などで漫画家としての仕事はお休みしていましたが、タレントとしても活躍されていました。
美術展を開いたり、手塚治虫文化賞特別賞を受賞したりと、とても有名な方です。
ですが、2024年に末期癌を患い、2024年10月28日に亡くなられ、悲しみの声が多数よせられました。
こちらの記事では、
- 楳図かずおは現在の家で亡くなった?
- 楳図かずおの現在の家の住所はどこ?
- 楳図かずおの死因は?
など、皆さんが気になることを細かくご紹介していきます。
楳図かずおは現在の家で亡くなった?
引用:日本経済新聞
楳図かずおさんと言えば、「まことちゃんハウス」と呼ばれるボーダーの家が有名です。
引用:LINE NEWS
2024年現在は、この家に住んでおらず、まことちゃんハウスの近所にマンションを借りていると言う噂があります。
場所についてはわかっていませんが、近所を散歩していたり買い物に出歩くことも多かった為、
近所の人はよく見かけたと言っていたり、ファンの方が声をかけるなど良くあったそうです。
格好も目立つのでよく見かけたという人が多数いるのも納得ですよね。
「最近見かけないなと思ったら、亡くなられてたんですね。」と言っていた方もいらっしゃいましたよ。
亡くなられたのは、ホスピスの可能性が高いですが、そうでなければ、まことちゃんハウスの近所のマンションの可能性もありますね。
楳図かずおの現在の家の住所はどこ?
引用:文春オンライン
吉祥寺駅から徒歩5分圏内なので、まことちゃんハウスや実際に住んでいたところは、下に示す辺りかと思われます。
地図で確認してみましょう。
引用:NAVITIME
よく吉祥寺で見かけると言っている方も多く、
1日に3回ボーダー柄の楳図かずおさんに会えると幸せになれる
という都市伝説まで作られていたそうですよ。
まことちゃんハウスは元々住むために作られたのではなく、主にゲストハウスとして使用されていました。
ですので、住んでいなかったというのは本当であると考えます。
マンションの場所は公開されていませんが、まことちゃんハウスの近所ということなので、吉祥寺で間違いなさそうですね。
楳図かずおの家(まことちゃんハウス)は廃墟になっている?裁判もあった?
引用:日経クロステック
まことちゃんハウスは、2020年頃から完全に放置されており、まるで廃墟のようになっています。
また、特徴的な色彩から近隣住民が撤去を求めて訴訟に発展したこともあります。
実は、まことちゃんハウスについては、「まことちゃんハウス事件」と呼ばれるものが存在します。
通称「まことちゃんハウス」と呼ばれる特徴的な色彩の個人用住宅の北側隣人及び向かい側隣人が、所有者の著名漫画家に対して、問題の外壁部分の撤去、完成から撤去完了まで原告それぞれに対して毎月5万円ずつの慰謝料の支払い等を求めた事件です。
裁判にまでなりましたが、2009年に判決が下され、住民側の請求を棄却し、楳図さんが勝訴しました。
その後、主にゲストハウスとして使われていたまことちゃんハウスですが、2020年頃から手入れが行き届かず、まるで廃墟のようだと話題に。
庭木も伸び、近所の方から苦情がきましたが、2021年に業者の方による手入れが行われ、2024年現在まで綺麗な状態を保っています。
まことちゃんハウスに住んでいない1つの理由として、楳図かずおさん本人が裁判後、心を痛めてしまい住めなくなってしまったということがあるそうです。
自分が好きで建てた家を、周りの人に否定され、裁判までになるとそれは精神的にもやられてしまいますよね。
楳図かずおの死因は?
引用:毎日新聞
楳図かずおさんは、2024年7月に自宅で倒れ搬送されました。
そこで末期の胃がんが見つかりましたが、手術は行わず、2024年9月からホスピスで終末期医療を受けていました。
見つかった時には末期だなんて、絶望的な気持ちになりますね。
ホスピスで終末期医療を受けながら、病床で新作構想なども模索していました。
しかし、10月に入り体力が低下し、2024年10月28日15時40分に亡くなられました。
88歳でした。
朗報は、2024年11月5日に明らかになっています。
葬儀は関係者のみで行われ、遺影は「グワシ!」のポーズで撮影されたものが使用されています。
引用:スポニチ
棺にはトレードマークの赤と白のボーダーシャツと赤いキャップ姿で納められたそうです。
楳図かずおの家族は亡くなったときどこにいた?
引用:朝日新聞デジタル
楳図かずおの家族構成
楳図公雄(父) | 元小学校教師で趣味は囲碁 |
楳図市恵(母) | 漫画家になる原点を作ったのは母親 |
楳図良雄(弟) | 7歳下の弟。広告代理店の社員だった |
楳図かずおさんは長男で、4人家族です。
実家は奈良にあり、父親は79歳で亡くなられ、母は91歳で亡くなられています。
弟さんは2024年現在もご健在で、かずおさんが漫画家として活動するのを支えていた1人です。
楳図かずおの父親はどんな人?
父親である公雄さんは、奈良県の代表として囲碁の大会に出場するほども囲碁の腕前で、教育熱心な小学校教諭でした。
多才な部分は父親に似たのかも知れませんね。
引用:読売新聞オンライン
楳図かずおの母親はどんな人?
母親である市恵さんは、絵を通じて物語を描き、想像力を育む手伝いをした方だそうで、かずおさんが漫画家になる原点を作ったのは母親と言われています。
楳図かずおの弟はどんな人?
7歳下の弟良雄さんは、大手広告代理店「大広」で勤めており、仕事でも一度だけ共演。
かずおさんが漫画家として活動するのを支えていた家族の1人です。
ご両親は亡くなられており、楳図かずおさんは結婚もされてないので、家族は弟の良雄さんただ1人。
現在何をされていてどこに住んでいるかは不明ですが、奈良にいたとしたら亡くなった知らせを受けて上京しているかもしれません。
元々末期の胃がんだとわかっていた為、すでに東京にいた可能性もありますよね。
楳図かずおについて世間の声は?
引用:デイリースポーツ
楳図かずおについて世間の声は、
- 楳図かずお先生の作品は大好きでした
- ずっと第一線でいたこと尊敬でしかない
- 握手してくれて本当に優しい方だった。素敵な思い出
でした。
詳しくみていきましょう。
漫画家としてもたくさんの作品を残した楳図かずお先生。
どの作品も愛されており、ファンも多かったと思います。
「楳図かずお先生の作品が大好きだった」というの声も多く見られました。
腱鞘炎などで漫画家の活動は止まってしまっていましたが、それでも2024年現在まで愛されるなんて本当にすごい方ですよね。
子供時代の思い出が楳図かずおさんだった、という人もいらっしゃいました。
同じような職業に就いていなくても「本当に尊敬でしかない」と尊敬される楳図かずおさんは本当にすごいです。
とてもいい方だったんだなというのが伝わります。
普通に散歩したり買い物しているそうなので、見かけた方も多くいらっしゃると思います。
プライベートだからとそっと見守っていた方もいらっしゃいましたが、ファンなら特に話しかけたいですよね。
「話しかけて握手を求めても、しっかり対応してくれて優しい方だった」と実際に会った方も言っており、
本当に悪い話がないので、嘘偽りなく素晴らしくいい人だったのでしょうね。
楳図かずおの現在の家/住所/家族・死因 まとめ
引用:TBS NEWS
いかがでしたか?
楳図かずおさんが亡くなった場所や、死因、家族ついてご紹介してきましたが、少しでも気になることが知れましたでしょうか?
テレビでも見かけたことがあり、漫画に詳しくない私でもお顔と名前を知っておりました。
そのくらい印象的で記憶に残る有名な方ですよね。
誰に何を言われても、自分自身の好きを貫き通し、世界観があるのが本当に素敵です。
そして、すごい方であるにも関わらず普通に気にせずその辺を歩いており、親近感がありいいですよね。
また素晴らしいお方がこの世からいなくなってしまいました。
とても素敵な方ですし、頑張ってこられた方なので、きっと天国でご両親と再会し、幸せに暮らしているでしょう。
まことちゃんハウスも国などが管理し、記念館として残ったら最高なのになと思います。
楳図かずおさんはいつまでも私たちの中で生き続けます。
ご冥福をお祈りいたします。
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