9月17日の「世界仰天ニュース」では、死者228人を出した大韓航空801便墜落事故について特集されます。
実は、この大事故から生還した日本人少女がいたことをご存じでしょうか?
松田利可さん、当時11歳です。
こちらの記事では、大韓航空801便墜落事故の生存者・松田利可さんの現在や、機長について調査しました。
大韓航空801便墜落事故の生存者・日本人の松田梨香の現在は?
大韓航空801便墜落事故が起こったのは、1997年8月6日。
今から27年前です。
当時11歳だった松田利可さんは、現在38歳です。
大韓航空801便墜落事故 日本人・松田利可のwikiプロフィール
引用:中国新聞
名前 | 松田利可(まつだりか) |
年齢 | 事故当時:11歳 2024年時点:38歳 |
父親 | 松田辰雄 |
母親 | 趙成女(享年44歳) 日本名:しげこ(Shigeko) |
出身 | 静岡県三島市 |
出身小学校 | 三島市立中郷小学校 |
松田利可さんは、父親の松田辰雄さんと韓国人の母親・趙成女さん(享年44歳)の間に生まれました。
母親は、日本名を「しげこ(Shigeko)」と名乗っていたようです。
松田利可さんは、日本人と韓国人のハーフです。
出身は、静岡県三島市です。
事故当時は、小学校5年生でした。
松田利可さんが通った三島市立中郷小学校は、静岡県の東部にあり、令和5年に150周年を迎えました。
とても歴史のある学校ですね。
引用:中郷小学校HP
その後、松田利可さんの情報は公開されていませんが、同じく公立の中郷中学校もしくは中郷西中学校に進んだ可能性が高いでしょう。
大韓航空801便墜落事故 日本人・松田利可の事故当時の状況
松田利可さんは、母親と一緒に大韓航空801便に乗ってソウルからグアムへ向かっていました。
8月の夏休みの時期にグアムへ旅行するということは、かなり裕福な家庭だったのではないでしょうか。
しかしながら、到着直前に事故に巻き込まれました。
この便には5人の日本人が搭乗していましたが、生存者は松田利可さんのみでした。
引用:namuwiki
松田利可さんは飛行機の後部座席に座っており、
・体が小さかった
・母親が脱出の手助けをした
・乗務員(イ・ユンジさん:当時24歳)に抱えられて脱出した
・非常ドアが近くにあった
などの幸運が重なり、生存することができました。
同乗していた母親は、機材に挟まれ動くことができず火災に巻き込まれて亡くなってしまいました。
11歳の少女にとっては、忘れられない出来事でしょう。
事故後、父親の辰雄さんがグアムに到着するまで、利可さんは当時のグアム知事カール・グティエレス(Carl Gutierrez)さんの自宅に滞在していました。
母親を亡くし、とても心細かったと思いますが、こちらの会見ではグティエレス知事に手を握られており、信頼関係を築いていることが見て取れます。
38歳になっているであろう松田利可さん。
年齢的に家族をもって母親になっている可能性も高いですね。
事故による心の傷は癒えることはないと思いますが、当時命をかけて守ってくれた母親のように勇敢な女性になられていることと想像します。
大韓航空801便墜落事故の機長は誰?
引用:namuwiki
大韓航空801便墜落事故で、ボーイング747を操縦していたのは、
機長:パク・ヨンチョルさん
副操縦士:ソン・ギョンホさん
航空機関士:ナム・ソクフンさん
です。
パク・ヨンチョルさん(1953年生まれ、当時44歳)は、1987年に入社し、1992年に機長に昇格しました。
1995年から事故機と同じボーイング747を操縦し始め、1997年5月には飛行安全部門で大韓航空社長から表彰を受けたこともある実力者でした。
機長としては5年と、経験は浅かったのかもしれません。
ソン・ギョンホ副操縦士(1955年生まれ、当時42歳)は1994年に入社、入社して3年目と比較的経験が少なかったようです。
ナム・ソクフン航空機関士(1939年生まれ、当時58歳)は1980年に入社し、17年のキャリアがあるベテランでした。
それぞれ、機長が9000時間、副操縦士が4000時間、航空機関士は13.000時間を超える飛行経験をもっていました。
大韓航空801便墜落事故とは?場所は?
引用:中国新聞
大韓航空801便墜落事故(だいかんこうくう801びんついらくじこ)は、1997年8月6日現地時刻1時42分頃、グアム・グアム国際空港へ着陸進入中の大韓航空801便が滑走路手前の丘陵地に墜落した航空事故である。
乗員、乗客254人のうち228人が死亡した。
パイロットミスによる CFIT 事故と考えられている。
ウィキペディア
大韓航空801便が墜落したのは、グアム国際空港の6.1 km手前、標高200 mの丘陵地ニミッツヒルです。
着陸までもう少しのところでした。
生存できたのは、たったの26名。
史上最悪の大韓航空の墜落事故の1つと言われています。
大韓航空801便墜落事故はなぜ起こった?
引用:namuwiki
機長の疲労
機長は当初アラブ首長国連邦のドバイ行の便に乗る予定でした。
しかしながら、ドバイ便に乗務するには事前の休養日数が不足したため、グアム便に振り替えられました。
勤務による疲労が溜まっていたことが、最善最速の判断ができなかった理由でしょう。
フライトクルーに対する不十分なトレーニング
副操縦士と航空機関士が、機長の操縦を効果的に監視し確認することができなかったことも原因の1つであると言われています。
機長の判断が遅れたこともありますが、3人のコミュニケーションや連携がうまく取れていれば墜落は避けられたとの推測も出ています。
警報システムの運用停止
当時、グアム国際空港の最低安全高度警報のシステム
航空機が規定された最低高度を下回ったり、地上の障害物に接近した際、もしくはそれらが予測される状況に達した場合に、管制官に対して警報を発するシステム
が誤作動が多いことなどによって事実上の運用停止状態にありました。
もし、この警報システムを運用していれば墜落の約1分前に管制塔に警報が発せられ、機体にも注意連絡ができていました。
引用:KYODO NEWS
どんなに悔やんでも亡くなった228人の命は戻ってきません。
飛行機事故の確率は、アメリカ国家安全保障会議のデータによると約20万5552分の1、0.00048%程度。
これは、自動車による事故で死亡する確率(0.9%)と比較すると圧倒的に低い確率です。
しかしながら、安心して飛行機に乗れるように、航空会社や空港には常に最善の状態でいてほしいですね。
大韓航空801便墜落事故 日本人・松田/なぜ起こった まとめ
ここまで読んでくださってありがとうございます。Grazie!
こちらの記事では、大韓航空801便墜落事故の生存者・松田利可さんの現在や、機長について調査しました。
さらに、事故はなぜ起こったのかについてもいくつかの要因が重なっていたこともわかりました。
私も大韓航空を利用したことがありますが、機内食やサービスも良く満足いくフライトでした。
現在、大韓航空は口コミも★4を超える会社です。
どんな乗り物に乗るときも、事故の可能性は0ではありません。
事故の可能性をいかに少なくできるかを日々考えていくことが、このような悲しい11歳の生存者を出さないことに繋がるのでしょう。
松田利可さんが、現在も健やかに過ごされていることを願います。
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